伊藤紗弥選手にインタビュー




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本日は現WMCWBC、元WPMF世界チャンピオン伊藤紗弥(尚武会)に練習後のインタビューをしました。

 

 

まずは129日に両国国技館で開催されるキックボクシングイベント KNOCK OUTに出場が決まりましたが率直に感想をお伺いします。

 

何度かオファがありましたがムエタイルールでは無いのでお断りしました。その後TVで見て(これなら出来るかなぁ・・・)と思ってたところにオファかあり出させて頂くことになりました。

 

相手の愛三選手はどう観ますか?

 

パワーがありガツガツ来るタイプだと思います。

パンチとローキックが多くキックボクサーだなぁと感じてます。

 

階級が違いますが勝機はありますか?

 

ハイ、小学生のころからムエタイをやっているので今まで100戦以上の試合を行ってます。

中には愛三選手みたいな選手も居ましたしそれ以上のパンチを放つ選手も居ました。

自分のやってきたムエタイでその場その場に対応すれば勝てると思います。

 

話しは戻りますが4歳からジムに通ってると聞きましたが覚えてますか?

 

少しですが・・入会する以前に夜になるとお母さんと2人の兄をジムまで迎えに行ってました。

後から聞いた話しですが3歳のころお母さんが『紗弥もお願いします』と会長に頼んだら『おむつが取れたらいいよ』と言われたらしいですが3歳ではおむつは取れてました(笑)

 

まだ早いってことでしょうね(笑)

 

はい、それで23か月後4歳になった時に『おむつが取れたのでお願いします』と入会したようです。

 

試合はすぐに出ましたか?

 

いえ、最初はジム内の試合でした。ジュニアが50人くらい居たので体重別でトーナメントを行いトロフィーやメダルをもらいました。

その後3年生くらいなった時に国際ジュニアキックボクシング大会に出場しました。

3年生でMVPを頂き自分と同じくらいのトロフィをもらい数か月後に韓国で試合をしました。それが海外デビューでした。相手は男の子でKOで勝ちました。

 

男子ですか?

 

はい、タイ以外は95%が男子でした。

 

そのタイですがいつからタイに行ってましたか?

 

韓国から帰って3か月後にタイで試合を組まれました。

 

えっ? すぐにですか?

 

はい、韓国で勝ったときに会長が『タイにはもっと強いやつが沢山いるからタイで試合してみろ』と言われて行きました。

会場はパタヤにあるテープラシットスタジアムで37kgでした。

当初は38kgと言われてたので服を着て38kgに調整してたのが計量の時に37kgと言われてサウナスーツを着て1時間くらいランニングをして落としました。

 

嫌がらせですか?

 

いえ、相手の選手は地元では強いことで有名で37kgのタイトルマッチにして興行を盛り上げたかったようで急遽タイトルマッチになりました。

メインでしたので賭ける人も多くスタジアムが盛り上がってました。

 

結果は?

 

ダウンを奪い勝利しました。肘は一度か二度もらいましたが私も肘を返しました。

 

肘ありですか?

 

ムエタイですから

 

その後日本のWPMFWINDYに出場して10数本のベルトを取りました。

 

タイでも試合はしましたか?

 

はい、年に25回の試合をしてました。王様や王妃の誕生日にはよく出ました。

ムエタイの父の日にもアユタヤで試合をしました。

 

負けたことはありますか?

 

ハイ、中3の頃、S-1(ソンチャイ興行)でシルビィと言うアメリカ人に負けました。最初は良かったんですが中盤以降に首相撲でまったく歯が立ちませんでした。

 

悔しかったでしょう?

 

いえ、自分の実力がわかったので練習方法を変えることが出来ました。今までのようにガツガツ行くのではなくラウンド毎に作戦を立ててすべてにおいて対応できるように練習しました。それだけでは足りないのでタイに行きました。

 

 

いつですか?

 

シルビィに負けた翌々月です。シルビィがタイで練習していることを掴みました。

彼女に勝つには彼女と同じジムに行かないとと思い、会長に相談したらジムに連絡してくれて1ヶ月間行ってきました。

 

えっ? 1ヶ月ですか‥お金も大変でしょう?

 

ちょうど中3の終わりだったので春休みを利用しました。滞在はパタヤにあるジム(オーミークン) 近くのホテルです。

お金はファイトマネーや夜にバーで行う飛込みの試合に出てお客さんからチップをもらってましたので何とかなりました。

 

凄い経験ですね

 

うちのジムはタイ人トレーナーも居るし先輩たちもタイに行ってたので自然の流れです。

 

そしてデビュー戦ですね。

 

はい、帰国してすぐの試合でした。高校生になった4月のムエロークでデビューしました。

相手は韓国人選手で前へ出てくる選手だったので膝を合わせてダウンを奪い勝利することが出来ました。

翌月、沖縄で田嶋はる選手と試合しました。結果は判定負けでした。

 

48kgと聞いてますが

 

はい、通常は45kgで試合してるのでちょっと重かったですが受けた以上はそれはいい訳にはなりません。でもその3ヶ月後にもう一度再戦することになりました。

それがWPMF日本ピン級タイトルマッチでした。

一度やってるので負ける気はありませんでした。指示通りに攻めて勝利しました。

肘で鼻が曲がってしまいインタビューの時にこそこそと治してました(笑)

 

(笑)

 

その後リトルタイガー選手と世界戦ですね。

 

はい、会長が何度か掛け合ったのですが受けて貰えませんでした。

 

でも、試合出来ましたよね?

 

蹴りたがる女子と言う本に載ることが出来ました。

その出版イベントがありました。私は呼ばれてませんでした。

その情報を聞いた会長が『乗り込めっ』と筋書きを作り一人で客席に紛れました()

 

紛れて?

 

はい、ファンと選手との質疑がありその時に手を挙げて質問しました。

マスコミも居たのでチャンスでした。

私は『リトルタイガー選手はタイ人選手とばかり試合をしてますがこんなに近くに相手が居るので試合しませんか?』と質問しました。

すると『ジムに戻って会長に相談します』

この回答がされると判っていたのですぐに『リトルタイガー選手の意思はどうですか?』と聞きました。『私はやってもいいです』と返答されました。

 

それで試合になったんですね・・・

 

それが、その後なんの返答もなかったんです。そしたら会長が果し状を書いて私を連れてWSR本部へ行きウィラサクレック会長に直談判して試合が決まりました。

 

そんなことがあったんですか・・・結果は判定で勝利し世界チャンピオンになりましたね。

 

その後WMCWBCと取り現在に至ったわけですが4歳から15年間もムエタイを続けていて辞めたいと思ったことはありませんか?

 

何回かはあります。

 

理由は?

 

わかりません。辛いとか厳しいのは仕方ないです。遊びも出来たし学校も楽しかったですが何となく(今日は休みたいなぁ)なんて思い23日休んだこともありました。

でも、たった23日の休みでこんなに身体が動かないんだと思い後悔したこともあります。

徐々に甘い考えも無くなり リングは私の生きる場所と思うようになりました。

試合をすること、その試合に向けて多くの人たちが私をサポートしてくださっていること、今までの練習を無駄にしたくない気持ち、将来のことなどが考えられるようになってきた高校生のころ私はリングに上がれる幸せを感じることが出来ました。

たった私一人のために会長やトレーナー、興行に携わる多くの方たち、チケットを買ってくださるファンの方たち・・多くの方たちに支えられていることを考えれば適当な練習などは出来ません。私を認めてくれるのは周りの方たちです。認めてもらえるように毎日頑張ります。

そしてムエタイを多くの人に知ってもらえるように頑張ります。

 

将来ですか?

 

東京オリンピックの次からムエタイがオリンピック種目になると聞いてます。

もしそうなら出場したいです。出場するからには金メダルを取ります。

 

凄い目標ですね。ゴールがオリンピックとはすばらしいです。

 

ゴールではありません! 私はムエタイで多くの人から支えられてます。私はその恩返しをするまでムエタイを生活の一部として向き合います。

ずっとムエタイ選手です。人生の多くを費やすだけの価値があると思います。

 

そうですね、ずっとやってきたムエタイから簡単に離れることは出来ませんね。

 

はい、好きですから・・

 

 

ありがとうございました。